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zoom RSS イスラエルとの壁(ベツレヘム・ヘブロン)

<<   作成日時 : 2011/04/16 09:24   >>

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 この日も大介君、シュン君と共に行動。
 2人がベツレヘムに行くというので、ついて行く事にした。大介君は僕らが来る前にも行っているので、2度目となる。

 エルサレムから南へ8kmの地点にあるパレスチナ自治区、ベツレヘム
 旧市街からアラブバスに乗り、ほどなくして到着。
 
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 まずはメインの生誕教会へ。
 ここベツレヘムは、イエス・キリスト生誕の地とされている。
 
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 キリストが生まれたと伝承される洞穴を中心として、その上に立てられている聖堂をローマ・カトリック(フランシスコ会)、東方正教会、アルメニア使徒教会が区分所有している。
 聖墳墓教会には及ばないものの、巨大な教会だ。
 
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 祭壇のわきから地下へと階段が続き、下ると小さな洞窟に至る。
 
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 イエスが生まれたとされる場所には祭壇があり、銀色の星形のプレートがはめこまれていた。
 
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 イエスの生誕の場所といえば一般的には『馬小屋』とされているが、キリストの死後300年ほどしてから、ローマ皇帝コンスタンテイヌスの母へレナが、この地の洞窟こそがイエス生誕の地である、と定めた。
 それにしたがってコンスタンティヌス帝が325年に『生誕教会』を建てたというわけだ。

 
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 世界中から多くの巡礼者・観光客が訪れており、教会内は常に溢れかえっていた。
 やはり荘厳で、重みを感じる場所。
 けれども2002年にはこの生誕教会を舞台に、パレスチナ人とイスラエル軍の銃撃戦が繰り広げられたという。


 近くにあるミルク・グロットも見学。
 
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 ミルク・グロットは聖母マリアがエジプトに行く前にヘロデ王の兵士たちからイエスを隠し育てた場所で、白い岩を堀り抜いて作った変則的な教会。
 マリアの母乳が数滴地面に滴り落ちて岩を白くしたといわれている。
 
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 ちなみに大介君は観光はせずに、外で待機していた。前回の死海に続いて、なんで来たんだろう?(笑)


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 北部の分離壁を目指して歩く。
 
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 イスラエルとパレスチナ自治区を分断する壁はコンクリート製で、高く聳え立っていた。
 高さ8m、完成すると全長700kmにもなるというこの壁は、現在も建設が進行中。

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 この壁は、イスラエルが『テロリスト(=パレスチナ人)のイスラエルへの侵入を防ぐため』と称してヨルダン川西岸地区に建設している壁。

 ところが実際はイスラエルとパレスチナの境界に建設されているのはでなく、90%以上がパレスチナの中に侵入して、パレスチナ人の土地を侵略しながら建設されているとの事。
 イスラエル側はこの壁を『セキュリティー・ウォール』と呼んでいる。
 
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 肥沃な土地、水資源を奪い、パレスチナの町と町を分断することでパレスチナ人同士の交流を遮断。同時にパレスチナ人の人口増加も抑制、文化・教育・経済などパレスチナ人のあらゆる生活を破壊している。

 壁建設の中止と徹去を求める国連決議や国際司法裁判所の勧告が出された後も、イスラエルはアメリカの保護の元、それらを無視して壁建設を続けている。

 イスラエルの狙いは入植地拡大であり、完全にパレスチナ人をコントロールすることであり、生活ができない環境を作ることであり、最終的には全てのパレスチナ人をヨルダン川西岸からも追い出そうとしていることであるのは明確だ。

 そしてこれは現地に訪れて、初めて知った事実。日本で報道されている情報とは、明らかに異なる。

 
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 そもそもパレスチナ人とユダヤ人における『パレスチナ問題』とは、どのようにして巻き起こったのか?


 問題の発端は、中東での覇権をめざしたイギリスの態度にあった。

 イギリスは第一次世界大戦でオスマントルコとたたかい、戦争を有利に進めるために『三枚舌』外交を行う。

 フランスとの間では、戦後の中東を両国で分割する密約(サイクス=ピコ協定)を結びながら、アラブ人にはパレスチナを含むアラブ国家の独立を認め(フセイン=マクマホン書簡)、ユダヤ人に対してもパレスチナでの『民族的郷土』の建設を支援する約束を取りつけた(バルフォア宣言)。

 紀元1世紀にユダヤ王国がローマ軍に滅ぼされ、世界に離散していたユダヤ人はこの宣言を受け、19世紀末以降、念願である自分たちの国家の建国を目指してパレスチナへの移住を開始(シオニズム運動)

 第2次世界大戦が終わる頃パレスチナのユダヤ人口は、全体の1/3にあたる60万人に達していた。

 となると当然、ユダヤ人と先住民のパレスチナ人との間では紛争が勃発。イギリスを標的とするテロも頻発し、手に負えなくなったイギリスは、問題を国連に委ねた。
 
 これを受け1948年、国連はパレスチナをアラブとユダヤの2国に分割し、聖地エルサレムは国債管理に置く決議を採択。

 イギリス軍が撤退するとユダヤ人は当事者間の合意がないまま、イスラエルの建国を一方的に宣言。
 分割決議に反対するアラブ諸国がイスラエルに攻め込み、中東戦争が始まった。
 
 4度の戦争を経て、一度は和平関係を取り戻すものの、2004年PLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長が死去したのを契機に関係はふたたび悪化の一途を辿る。

 そしてイスラエルとパレスチナを分断する『分離壁』が建設され、両者の関係は新時代を迎えている。

 壁には『FREE PARESTINA』をはじめ、様々なメッセージが描かれていた。
 
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               NO WAR ,NO WALL



 こんな壁、いらないよ。


 あまりにも不自然だ。


 ベツレヘムのパレスチナ人(アラブ人)達は陽気で気さくな人が多く、町自体にも想像していたほどの陰惨さは感じられない。
 
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 何も考えずに歩けば、ここは何てことない、アラブの町のひとつに過ぎないという印象を受けるだろう。

 けれどもそこには確実に負の歴史が潜んでいて、今なお内在されている。

 パレスチナの壁は、その問題がまさしく『今現在』起こっているという事実を、表しているようだった。


 イスラエル側からパレスチナに行くのは簡単だったが、逆となると全く異なる。
 
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 国境を越えるかのような手続きを経て、チェックポイントを抜けた。

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 当然、一般のパレスチナ人はチェックポイントを越えることは出来ない。



 別の日には、同じパレスチナ自治区のヘブロンへ。ベツレヘム経由でやって来た。
 ユダヤ・キリスト・イスラム教の祖であるアブラハムの墓があることで有名なヘブロン。
 
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               アブラハムの墓入口。


 
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 ここの人々はさらに陽気で、町の雰囲気はアラブそのもの。 
 
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 ただその陽気さとは裏腹に、確実な暗い部分も感じられた。
 
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 まるで戦争の跡のように残された廃屋、焼き打ちされたり、シャッターが下りたままになっている店、破壊された店。
 
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 また壁に書かれた無数の落書きからであったり、スークの上部に設置された金網からも陰鬱さは感じられた。
 
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 なぜこんな金網が存在するのか。
 94年にイスラエル軍がヘブロンに入植を開始。住民を追い出すために暴力的な行為を繰り返し、ユダヤ人入植者が大量に住み着いた。

 今でも、占領されたスークに並ぶ4階建の建物の3・4階にはユダヤ人入植者がそのまま住み着いており、下にいるパレスチナ人に向かってゴミや糞尿の入ったビンなどを投げつけるので、それをよける網が張られているとの事。

 
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 俄かには信じられないような話。どんなに一見の明るさがあっても、ここがパレスチナであるというのは紛れもない事実なんだ。 


 今も、入植地に囲まれた最前線であるヘブロンでは、軍人からの暴力や嫌がらせに怯えながら暮らしを続けている人たちがいる。
 
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 イスラエルとアラブの、根深い争い。解決の日はいつか、やってくるのだろうか。

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